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「バイバイ」って言ってから電話を切るまでの余韻

そこそこ混んでいる電車内で座席に座っている。

しばらくして大きな駅に着き、過半数の人がバッと降りた。

新たな乗客もなく、座席スペースが広く空く。

こんなとき、隣に座っていた人が空いた席に移ることは珍しくないと思う。

でも僕は自分から席を移れない。なんとなく寂しい感じがしちゃうから。
裏を返せば、移られると表現しづらい小さな寂しさを感じる。

移った人からすれば当然の選択だし、何も問題はない。

なのにこの気持ちはなんだろう。

うさぎかよ。

それと同じような感覚で、電話を切るときも余計なことを意識してしまう。

「バイバイ」と言った後ですぐブチって切れない。

4秒くらい待っちゃう。

それくらい待てばたいてい向こうが切ってくれるし、
切られなければ向こうもきっと切らない人種だからこっちから切る。

この無言の余韻をカットできない。

遠足理論になぞらえれば、「電話が切れるまでが会話」。

誰かを見送るときに、その姿が見えなくなるまで手を振るのと似てる。
寂しさを感じさせてしまう可能性を減らせるなら減らしたい。

ブチっと電話が切れたら自分が寂しいと感じてしまうことの裏返し。

こうするべきだと思っているわけじゃない。
むしろそんな「お気遣い」は鬱陶しく感じる人もいると思う。

さっさと切れよ、ってね。その通りです。

人間の最大の敵の1つは寂しさではないだろうか。

大人になってそんなことを考えるようになった。

寂しさが襲ってくると、

時間を無為に過ごし、判断を誤らせ、心身は硬くこわばる。

個人差はあるだろうけど、こういう感覚ではないでしょうか。

だから電話をすぐ切らない、っていうのは話が飛躍しているけど、

突き詰めてみれば直感的にそうしちゃってるのかなと思う。

寂しさ自体が悪とは思わないけど、少ないなら少ないほうがいい。

だから無意識に他人からそれを遠ざけようとしているんだ。

だったらすでに発生してしまった寂しさを癒せるものってなんだろう。

結局は家族や近しい人とのつながりか。

それとも自分で内側にきずく安心感か。

解釈はそれぞれだとしても、

「誰かのためになっている」っていう実感を得ているときは、

寂しさとは遠い精神状態な気がする。

たとえその誰かが顔も知らぬ人でも、故人でも、自分自身でも。

そう考えたら、なぜ人は「がんばる」かの理由も見えてきそうだ。

がんばらないと、襲われるから。

でもこれについてはまた後でにしよう。

いつもながら話がどんどん逸れていく。

とにかく、電話切るのが遅くてすいません。

うさぎ野郎の自己満足です。

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