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自己主張と他者批判、争いの大小

かなり前のことだけど、Twitterでこんな言葉を目にした。

自己主張発言ばかりする人はつまらない

 その裏には他人批判が入っている気がするから

自己表現する人はすばらしい

 それ自体が他を批判しない主張になっているから

この文章を読んだとき、何かがお腹にストンと落ちてきたような。

頭の中でモヤモヤしていたものが文章化された瞬間だった。

自己主張。自分の考えをしっかり持つのはいいことだと思う。

僕からしたら羨ましくさえある。

しかし、主張はたいてい衝突を伴う。

これが結構苦手。

僕は悪く言えば事なかれ主義なのです。

こんなことを考えていると、思考はどんどん脱線していく。

そして、いろんな場所で目にする論争(あるいは口喧嘩)を思い返す。

意見の食い違いから始まってだんだんヒートアップし、

感情的になって心無い言葉が投げつけられる。

もちろん世の中に議論は必要だし、考えの違いをぶつけ合っていい。

相手に対して健全に反論するのは何も問題ない。

だけどその範疇を越えて、相手を罵る言葉を発してはダメだと思う。

要するに悪口。世の中の「議論」に違和感を抱く部分。

どんな議論をしていようと、見失っていけないのは相手を尊重する気持ち。

相手の意見が誤っているとしか思えなくても、

あくまでそれは彼から生じた1つのアイディア。

アイディア同士のぶつけ合いから、逸れてはいけない。

どう考えても自分が正しいと信じて疑わなければ、

相反する主張は愚かしくさえ思える。

どうしてこの考えを理解できないのだろうかと。

しかしそれは相手も同じことだ。

それなのに小馬鹿にするような態度をとるからおかしなことになる。

「こんなことを言っている、あいつは阿呆だ」

見世物のようにSNSに投稿する。

理解の浅い賛同者を募って、良い気分に浸る。

それはもはや議論じゃない。

腹の中がスッキリしない未熟な自分を慰めているだけだ。

そうやって相手を見下せば自尊心が保たれるから。

まぁ中には本当におかしい人もいるわけで、

あまりキレイでない言葉が込み上げてくる気持ちもよく分かる。

しかし重要なのは、そんな人を馬鹿にしたって何も変わらないということだ。

それで考えを改めるはずもない。

変なおせっかいはやめて、理性的な言葉を語ったらもうその場を去ろう。

解決策は別の場所で淡々と講じるほうが、

よっぽど良い結果をもたらすと思う。

自己満足のための悪口は、誰の得にもならず、自分の徳を減らしてしまう。

そして心無い言葉からは憎しみが生まれ、潜在的ではあれ小さな火種となる。

世の中の争いごとに規模の大小はあれど、

本質はさほど変わらないように思う。

相手が気にくわない。

自分の思い通りにしたい。

裏を返せば、自分が正しいとどこかで思っている。

そしてそれに対する反発。

人は過干渉な生き物です。

「認め合うことが大事」とよく言われるけれど、

なにも議論の末に必ず握手を交わせというわけではない。

というか心拍数の上がった血眼の顔ではそれは難しいと思う。

ただ1つ、自分と異なる意見が存在するという事実だけ認めればいい。

相手を尊敬する必要はないが、

尊重する。

理性的な態度で考えを伝えたなら、もうできることはない。

それが済んだら日常に戻ろう。

考えを改めさせてやろうなんて、

傲慢だから。

相手も心を持った人間なのだから温もりを忘れずに。

昨年の11月にパリで大きな事件が起こった。今も多くの恐怖や悲しみをもたらしている。

あれも1つの主張の形と言えるのだろうか。

いずれにせよ、ここまできてしまったら議論もなにもない。

「話し合いなど通用しない相手もいるのだ」と16号も言っていた。

ではいつの時点なら彼らと話し合いができたのだろう。

できたとしてそれが意味を成すかは分からないけど。

まずは自分たちの身を守らなければ。

人や街が壊されていく世界に対して、

残念ながら僕はどうすることもできない。

だからというわけではないけれど、

手の届く範囲での争いは減らしたいと望まずにいられない。

好きな人と好きなものを共有するときのような、

温かい気持ちがそこにあったならな。

誰もが等しく尊い存在である

というありきたりな言葉、

それは想像を超えて理解し難いものなのかもしれない。

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