学生時代に働いていた居酒屋で、
ときどきクレームを付けてくるお客さんがいた。
こちらに非がある場合もあるし、そうでない場合もある。
いずれにせよ、その人はたいてい苛立った様子で店を後にする。
その姿を見送りながら、「あぁ悔しいな」と思っていた。
自分が提供する場で、1つの不機嫌を生み出してしまった。
たとえ怒らせた原因は自分ではなかったとしても、
その状況に居合わせている以上、自分に責任はある。
お客さんが帰ってそれですべて解決、となればいい。
しかし厄介なことは、感情がその場で完結しないということだ。
きっと彼はこのあと家に向かう。
もしかしたら駅に向かう途中で誰かと肩がぶつかるかもしれない。
普段なら「すんません」と言うのに、この日は舌打ちをしてしまう。
新たな苛立ちがまた1つ芽生える。
電車に乗ってもなんだかスッキリしないまま、
ようやく家に着く。
いつもより少しだけ奥さんに冷たくしてしまう。
暗く揺れ始める水面を見て、子供が不安げな顔をする。
これはただの妄想だけど、
あながち非現実的でもないと思う。
むしろ、この程度では済まない場合だってあるはず。
苛立ちを自分の内でサッと消せたならいいんだけど、
それも簡単ではないことが多々ある。
負の感情の連鎖が広がった先に、一体どんな事態を招くか。
まさにバタフライ・エフェクト。些細な行動が大きな影響を世に与える。
みんなでペイ・フォワードをやりましょうと言いたいわけではない。
だけどせめて、平穏であることをやっぱり願ってしまう。
負の感情のコントロール。
これは生きていくうえでとても重宝する技術だと思う。
怒りが連鎖するのなら、
喜びももちろん同じだ。
「幸せ」が波紋のように広がるとき、
中心にはいつも自分がいる。
どうせ波を立てるなら、温かなものがいい。
生まれたての子供が、ゆりかごの中で安らげるような。
そうでなければ静寂がいい。
静けさの中にこそ宿るものがある気がするから。
時に荒波が立ってしまっても仕方がない。
再びの静寂を待てばいい。
だけど一番大切なのは、
肝心なのは、
水面ばかりに捉われてはいけないということ。
草花や蛙や月の光、
その池は恵みの中にあるということ。
すべての波はいずれ消えるのだから。
小さく浅いこの池で、
僕は何を育めるだろう。